法安寺 ー街とこども園をつなぐお寺ー
長年一体の建物として親しまれてきた法安寺とマーヤこども園の建替計画である。
建替前の建物では、こども達が仏像に手を合わせるなど、日常の中で自然にお寺と馴染む姿が印象的であった。一方、園の運営を休止することなく建替える必要があり、限られた敷地の中で寺院とこども園を段階的に建替える計画とした。
まず既存寺院を解体し、その跡地に新園舎を建設。完成後にこども園の運営を新園舎へ移し、旧園舎を解体して新寺院を建設した。最後に両棟を3階レベルのブリッジで結び、長年一体であった寺と園を、新たな関係を持つ一つの建築群として再構成している。
南側道路に面して寺院を配置し、伸びやかな大屋根と再生木ルーバーによって、街に対して落ち着いた佇まいをつくった。隣接する市営住宅の木調ルーバーとも呼応し、周辺のまちなみに馴染む外観としている。
寺院の一部には二層吹抜のピロティを設け、南側道路から中庭へと視線と風を通している。ピロティに面して檀家が集まる和室と縁側を配置し、寺を訪れる人と園で過ごすこども達が、互いの気配を感じられる場所とした。街とこども園を直接つなぐのではなく、その間にお寺があることで、地域とこども達が緩やかにつながる中間領域となることを意図している。
寺院とこども園の間には、中庭型の園庭を設けた。地上では二棟を分けることで、こども達が安心して過ごせる場所と園庭への光や開放感を確保し、上空ではこども園3階の多目的ホールと寺院をブリッジで結んでいる。かつて一体であった寺と園の関係をそのまま再現するのではなく、新しい建築の中で立体的に受け継ぐことを考えた。
法安寺は、室町時代には現在の西宮市二見町付近にあり、武庫川の度重なる氾濫を避けて石在町へ移り、その後、戦災を経て現在の末広町へと移転した歴史を持つ。また、西宮の酒造りを支える宮水の三つの流れの一つには、現在も「法安寺伏流」としてその名が残されている。明治5年には西宮で最初の寺子屋が法安寺に開かれ、地域の教育の場としての役割も担ってきた。
一つ前の旧地である石在町には、現在、沢の鶴の宮水井戸がある。そこに残されていた旧法安寺の灯籠や手水鉢を今回の建替えに際して現在地へ移設し、新しい庭のランドスケープに取り入れた。手水鉢をお地蔵さまと向き合う前の場所に置き、小さな灯籠をこども達が触れられる位置に、濡鷺灯籠を寺の庭のシンボルとして配置するなど、単に古いものを保存するのではなく、新しい場所の中で再び役割を持つよう計画している。
移転を重ねながら地域と関わり続けてきた寺の歴史と、そこで育まれてきたこども園との関係を受け継ぎながら、お寺がこども達を守り、同時にこども園を街へとつなぐ建築を目指した。
